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「あ、これってあれだ!」とつながった瞬間を語ってみる、ちょっと変わった書評ブログ。

#2 「諦めたら試合終了ですよ」が人の心に刺さり続けるのはなぜか? 井上雅彦『スラムダンク』

こんにちは。kazuです。

ご無沙汰してます。大学入学の準備で、なかなかブログに手が回りませんでした。

今日は、史上最高のバスケ漫画について語ります。長くなりそうな予感しかしません。
心して読んでください。

スラムダンク (1) (ジャンプ・コミックス)

スラムダンク (1) (ジャンプ・コミックス)

みんな知ってる『SLAMDUNK』

読んだことはなくとも、『スラムダンク』がバスケ漫画であることや、「諦めたら試合終了ですよ」という名言は、ご存知の方が多いでしょう。

どんな話かというと、惚れては振られを繰り返す桜木花道(さくらぎはなみち)が、高校入学後すぐに一目惚れした赤木晴子(あかぎはるこ)に褒めてもらいたくてバスケを始めて……という感じ。

はじめの方はギャグテイストなんですが、だんだんキャラがしゃべらない描写が増え、最終巻には、はじめのギャグテイストはどこへ? って思うくらい描かれ方がかっこよくなっていきます。しびれます。花道の下心なんて微塵も思い出せないくらい。

 

この作品との出会いとその凄さ

 私がこの作品と出会ったのは、確か中学生の時。地域の図書館に全巻おいてあって、「これが噂のスラムダンクか」と思って読み始めました。浦沢直樹『YAWARA!』を読み終わった直後だったかな? ちょうど漫画の面白さに目覚めた時で、鳥肌立ちっぱなしでした。漫画ってやっぱめちゃ面白いじゃん! って。

この作品は、「いいとこで終わってる」ってのが一番凄いです。

潔いというか、鮮やかというか。

何事もそうですが、全盛期で辞めてきっぱり続きが出てこない、っていうのは潔く美しい。山口百恵さんとか。スラムダンクもそんな感じ。終わったときにまだ伸びしろを感じさせてる、っていうのがいいのかもしれません。

 

「諦めたら試合終了ですよ」

 普通なら、ここで好きなシーンとかを語るんでしょうが、ネタバレが嫌なので、名言「諦めたら試合終了ですよ」に焦点を当てて書いていきます。 

そもそも誰の言葉なのか?

発言者はわからないといけないと思うので少し解説を。

この言葉は、作中2回出てくるんですが、発言者は2回とも、花道が所属するバスケ部の顧問の安西先生です。「諦めたら試合終了」は、安西先生の信条。wikipedia安西先生のわかりやすい紹介があったので引用しておきます。

性格は非常に温厚で物腰も柔らかく、ホワイトヘアードブッダ(白髪仏)と呼ばれている。花道からは「オヤジ」と呼ばれ、何かあるごとに花道に二重あごをタプタプされる。たまにしか練習に姿を見せず、あまり練習にうるさく口を出さない事や恰幅のいい体型もあいまって、一見お飾りのような印象を与えるが、バスケ界では有名な監督であり、他校の監督からも尊敬の意を込めて「安西先生」と呼ばれている。

Wikipediaより引用 SLAM DUNKの登場人物 - Wikipedia

 

この名言が名言たる所以

 さて、やっとこの記事のテーマにたどり着きました。

「諦めたら試合終了ですよ」。

要は、あきらめないことが大事、ってことなんですが、なんでこんなにも心に残るんでしょう。「あきらめるな」とかよりずっしりきます。不思議です。

そんなふうに思っていたある日、ある本に答えを発見してしまいました。
それがこの本です。

人を操る禁断の文章術

人を操る禁断の文章術

 

amazonの内容紹介には、

たった1行で、人は踊らされる。メール、企画書、LINEで使えるメンタリズムシリーズ最終兵器。

とあります。よくあるハウツー本ではありますが、「文章に動かされる」とはどういうことか、っていうのがよくわかります。

ああなるほど、売り手はこうやって購買意欲をかきたてるのね……と冷静になれる本です。衝動買いしてしまう人は読んでみてください。ちょっとだけ、性格がひねくれてしまうかもしれませんが(笑)。

 

名言の話

さて、話を戻しましょう。

この『人を操る禁断の文章術』の中に、「ありきたりな文章を、サクッと名文に変える方法」というコラムがあるのですが、その中に、「諦めたら試合終了ですよ」も出てくるんです。そこに、この名言が名言たる所以が書いてあったので、まとめてみます。

Daigoさんによると、名言が人の心に響くのは「常識的なこと、当たり前なことを言っているから」。なるほど、「諦めたら試合終了ですよ」も、要は「諦めないことが大事」ってあたりまえのことですからね。

でもそれだけじゃ人の心には残りません。じゃあどうしたら名言になるか。それは、Daigoさん曰く、

「過剰で具体的な条件を組み込むこと」

だそうです。

例えば、

「成功者は夢をあきらめない」
  →「成功者は、飢え死にしそうな時でも夢をあきらめない」
「成功のための努力を惜しむな」
  →「成功したいなら1日18時間、一つの事に集中しろ」

などなど。なるほど、って感じですよね。

そしてDaigoさんはこのコラムの締めに、「諦めたら試合終了」の例を出して、

「試合終了」という言葉は、あきらめが時計の針を進めてしまうというイメージをかきたてます。

と言っています。なるほど、だからやばい、と思うのね。

 

「諦めない」という美学

なんだかあっさり答えが出てしまいました。

ここで終わってはダメですね。だってまだ(私が)納得できてませんもん。
なんだか腑に落ちないんですよね。だってDaigoさんの説明は、まあいわば内容ではなく、「言い方」の話。

そもそも「諦めない」って、なんでそんなに大事なんだ、って話ですよ。

「あきらめが肝心」って言葉もありますが、人々の意識は大抵、「諦めたらもったいない」にある。それはなんでなんでしょう。

 

「諦めてる」って実際どういう状態なのか

 諦める、ってそもそもどういうことなのか。グーグル先生に聞いてみましょう。

諦める】《下一他》

とても見込みがない、しかたがないと思い切る。断念する。

 「夢を―な」

なるほど。でも、ちょっと面白い記事も出てきました。

諦める | 生活の中の仏教用語 | 読むページ | 大谷大学

多くの人が知らない「諦める」の本当の意味 | リーダーシップ・教養・資格・スキル | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準

これらの記事によると、「諦める」には、もともと「つまびらかにする」という意味があって、「諦める」とは決して悪いことではない、と。ふむふむ。実に面白い。

しかし今回の場合、前述したマイナスイメージの方の意味ですから、このことは少しおいておきましょう。

 

スラムダンクを語る一冊

この名言を考えるとき、外せない本があります。それがコレ。

スラムダンク勝利学

スラムダンク勝利学

ただ、がんばるだけでは意味がない!超ヒットバスケ漫画スラムダンク』のなかに必勝の秘密があった。スポーツで勝つ、人生に勝つ。 (「BOOK」データベースより)

この本は、『スラムダンク』のキャラクターたちの行動に勝利学を見出そうとする本です。主にスポーツ心理学の視点から書かれています。私は高校の時フェンシングをしていましたが、この本はとても役に立ちました。ただ、読者がバスケをはじめとする団体競技者であることを前提に書かれているので、個人競技の人はうーんって思う部分もあるかもしれません。

でも、スポーツをやっている人、スポーツでなくても何かに向かって頑張っている人すべてにおすすめです。何かしら得られるものがあるはず。

 

諦めは最大の敵である!

この『スラムダンク勝利学』の第十五章に、「諦めたら試合終了ですよ」について言及した箇所があるのですが、それを理解するには、少し解説が必要なので、十五章以外の内容からも抜粋して説明します。

筆者の辻秀一さんによると、スポーツのパフォーマンスの質を左右するものは

  • 意識
  • 下意識
  • セルフイメージ

の3つがある、と。

「意識」というのは一番初めの練習段階の状態の事で、たとえば、レイアップシュートを練習するときに、「1歩、2歩」と頭の中で意識している状態を指しているそうです。

「下意識」は「意識」が意識しなくてもできている状態。練習によって増大。NBAのバスケ選手はレイアップシュートでいちいち歩数なんてカウントしませんよね。そういうことです。プロの選手はこの部分が大きいそうです。

で、その「下意識」が発揮される度合いを左右するのが「セルフイメージ」。要は、試合中の心理的状況ですね。不安になると発揮される領域が減り、いい集中具合だと増えます。

辻氏は主にこの「セルフイメージ」のコントロールを説いていくのですが、「諦めたら試合終了ですよ」の「諦め」について15章でこう語っています。

諦めは視点が未来に行くことから生じる思考です。このままやっていても、どうせダメだというところからくるものです。こう思った瞬間に、あなたのセルフイメージは限りなく縮小してしまいます。
           辻秀一『スラムダンク勝利学』より

要は、「諦め」は、試合結果の事を考える思考であるがゆえに、あきらめることで「今」に集中できなくなり、「セルフイメージ」が悪化してしまう。その結果、「下意識」、つまりパフォーマンスを発揮できなくなる、ということです。
(確か『ハイキュー!!』や『黒子のバスケ』でも同じような事例があったはず。ここでは長くなるので省略しますが、いずれ記事にしたいと思います。)

なるほど、心理学から見ても、「諦め」は成功の大敵なのですね。

 

哲学の本から得るヒント

大分長くなってしまったのですが、もう一冊、語っておきたい本があります。

はじめて考えるときのように―「わかる」ための哲学的道案内 (PHP文庫)

はじめて考えるときのように―「わかる」ための哲学的道案内 (PHP文庫)

「考える」ってどうすること?「わかる」ってなに?―本書では、もっと上手に考えるための方法を心なごむ絵とともに解説。“問題そのものを問う”“「考えてる」と「考えてない」の違い”“コップと飲み物の関係”“「論理」ってなんだ?”“自分ひとりで考えるのではない”…みるみる考える力が湧いてくるヒントが満載。ものごとの見えない枠組をはずし、本当の「考える力」が身につく哲学絵本。(「BOOK」データベースより)

 

「考える」ことと「あきらめない」ことは似ている

『はじめて考えるときのように』は、私が浪人時代に図書館の中を放浪していてたまたま発見した本で、めちゃくちゃ読みやすくておすすめです。

しかし、この本がなぜ「諦めたら試合終了ですよ」に関係あるのか。

それは、「考える」ことと「あきらめない」ことが似ていると感じたからです。

野矢先生によると、「考える」というのは、一つの問題などについて常に意識し、あらゆることをそれに結びつけてみるのを繰り返すこと。

この本に書いてある例だと、「こどもが欲しがる文房具はなんだ?」というなぞなぞを考えているときは、文房具を見ながら無意識にヒントを探しているということ。このなぞなぞについて考えていて初めて、「クレヨン」は「くれよ」という意味をもって聞こえるのだ、と。

私が思うに「あきらめない」ということもそれに近い。まだ「あきらめていない」ときには、成功のチャンスを常に探しています。試合中なら、相手の少しの息遣いの変化とか、目線とか。そういうものは常に情報を持っていますが(例えば、次の動作やスタミナ切れなど)、注意してみていなければ気づきません。

つまり、あきらめていない、というのは、チャンスをじっと目を凝らして待っている状態。しかも、そのチャンスがちゃんと生かせるように自分の能力も磨き続けます(=努力)。

諦めてしまえば、チャンスが目の前にあることにすら気づけない。

これが私の考える「諦めたら試合終了ですよ」の意味です。

ただ、この「努力」と「待ち時間」の価値が、「成功によって得られるもの」を超えてしまったとき(または超えてしまいそうなとき)は、あきらめるのも正解だとは思いますが。

 

まとめ

「諦めたら試合終了ですよ」について、その表現、そして内容から考えてみました。

諦めたらその目標の成功はやってこない。当たり前のことですが、その理由についてちょっと突っ込んでみると、やっぱり「当たり前」にはそれなりに理由があるんだなあ、ということに気づくことができました。

 

私にまとめる力がないために記事が長くなってしまい、申し訳ありません。

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

 

kazu